山形の若者の活躍や山形の魅力を発信する「やまがた若者応援大使」の皆さんが、県内でチャレンジする若者に会いに行く『やまがた若者応援大使の“やまがた探訪”』がスタートします。

1回目の探訪者は「With優代表の白石祥和さん」です!!米沢で夢を叶える若者に会いに行ってくださいました。

#山形ジャックスブルワリー 代表 槙山秀都さん編
【探訪者 白石祥和さん】

笑顔が素敵な「米沢ジャックスブルワリー 代表 槙山秀都さん」

今回は35歳で米沢ジャックスブルワリーを立ち上げた槙山秀都さんにお話を伺ってきました!実は槙山さん、私の小・中学校の1年下の後輩、同じサッカー部でもありました。

ー今日は宜しくお願いします!
ビールのラベルにもなっている槙山さん、相変わらず顔濃いですね~。

自分の顔がラベルになったのはデザイナーの方のアイディアですが、レジで打っている人に「これ誰ですか?」と聞いた人もいて、レジの人は「分かりません!」と答えたとか…(笑)まだまだ認知されてはいません。

ーでも、インパクトのある素敵なデザインですね!


ーなぜ今の仕事、会社を立ち上げようと思ったのですか?

地元の工業高校を卒業してからいつかは米沢に戻りたいという気持ちを持ちながら、関東圏のガソリンスタンド等で働いていました。もともと生まれ育った米沢が好きで、地元を離れてからより地元に戻りたいという気持ちは強くなっていきました。
そして、26歳の時に帰郷し、米農家や溶接業、解体業等、職を転々としていたのですが、27歳の時に今に繋がる、心が動かされる出来事がありました。
アメリカ人の友人であるジャクソンが自分で作ったというビールを飲む機会があったのですが、それがもの凄くうまかったんです!
何より仲間が作った酒で思い入れも違ったのだと思います。
海外では酒税法が日本ほど厳しくないところもあって、気軽にビールを作って楽しんでいる人もいましたが、日本でのイメージは工業製品であり、人が作れるものではないという感覚がそもそもあったので衝撃的でした。

ー確かに日本だと家庭でビールを作るというのは考えられないですよね。
そのきっかけにもなった、ジャクソンさんとの出逢い、ジャクソンさんの愛称「ジャックス」が今の「米沢ジャックスブルワリー」の名称にもなっているんですよね。
「米沢ジャックスブルワリー」誕生に向けての第一歩は?

東京のブリューパブ(醸造所併設の飲み屋)に飲みに行き、そこで働かせて欲しいとお願いしました。アルバイトから始まりましたが、社員になって新店舗の立ち上げや店長も経験させていただき。そこには自分のような独立開業したい人も多く、ビールに触れる機会が多いのはもちろん、夜な夜な自分の地元はこんな地域だからこんなビールがいいとか夢を語れるような空間で楽しかったですね。

ー自分のやりたいことに向かって進んでいる時は時間を忘れるくらい楽しいですよね。そして凄い行動力ですね。
友人の作ったビールを飲んだことで人生が大きく動き出しましたね!

はい、2年程東京で勤務してからまた帰郷し、起業するための土地探しや計画書の策定、色々な人に聞きながら行いました。国税局の免許が必要なので、そのやり取り含めてすべてが初めてのことで大変でした。銀行から融資を受ける際も「本当にビールを作れるのか?」「大手のビールでもいいのではないか?」「こんなに高くて売れるのか?」などとも言われましたが、何も実績もない若者が何千万円と貸して欲しいと伺ったので当然かとは思います。

米沢ジャックスブルワリーの工房内

ーそれでもその熱意を伝えて、銀行からの融資や場所を見つけることも出来たのですね。そして自身で作ったビールを初めて世に出したのはいつですか?

はい、開業は35歳の春、2018年の4月に行いました。そして、地元でY-1グルメグランプリという大きなイベントが7月にあって、そこで初めて地域の方に自分で作った生ビールを提供しました。

ー私も飲みに行きました!正直、本当にビールを作れるのか?大手ビールに慣れている人々に支持されるだろうかとも思いましたが、お世辞なしで過去最高にうまいビールでした。4杯くらい飲んだと思います。笑

そこでは手ごたえも感じたのでしょうか?

そのイベントまでの1~2週間は寝れないほど忙しく、ぶっつけ本番のような状況で手ごたえを感じている余裕はなかったですね。でも、そこで新たな繋がりも生まれて、すぐに工場に足を運んでくださった方もいて嬉しかったですね。

その後は、東京での繋がりも生かしてスタート出来ました。人づてに広がり、計画では製造量ベースで5年目に目標としていたものが2年目に達成できるくらいでした。

ーすごいですね!
そこからの新型コロナウイルスの感染拡大、大きな影響があったかと思います。

昨年は、緊急事態宣言の発出された1ヵ月は休業する居酒屋が多く、生ビールの樽はほぼ出ませんでした。ただ、それまでに知られてきたことで、瓶ビールの需要が高まり、これまで樽で出していたものが瓶に回ってきてはいます。コロナで計画の変更はもちろん、厳しい状況はありますね。

ーそのような状況下で何か感じたこと、エピソードはありますか?

はい、うちのビールを扱ってもらっている山形出身で東京で居酒屋をやっている友人がいるのですが、他店でアルバイトをしている大学生が昨年の緊急事態宣言下でアルバイトも出来なくなり、学校もオンラインのみで孤立して自ら命を絶ってしまったことがあったそうなんです。その友人の居酒屋では、「学校に行けなくてもアルバイトに来い」と学生に居場所を与えていました。また、私たちのような造り酒屋も潰すわけにはいかないと動いてくださっている方もいます。
実際にそのような居酒屋があることや若者がいたということは知って欲しい。先が見えない中でその友人の行動にはとても心動かされました。

ーコロナ禍で経済活動が回らないことはもちろん、アルバイト等をしている学生に与える影響もとても大きいですよね。コロナで孤立している若者の「命」を守るということにもっと目を向けていかなくてはいけないとも思います。


ー槙山さんが日々大切にしていることはありますか?

はい、当たり前のことを当たり前にこなすことです。迷惑をかけないこと、支払いも遅れないこと、お客さんが欲しい時にビールを渡せることとかですかね。

ー槙山さんらしいですね。今後チャレンジしてみたいことはありますか?

山形の特産物も利用して様々な方とコラボしたビールを作っていますが、そこはこれからも挑戦していきたいですね。まだまだ認知度は低いと思っているので、米沢でなく、山形を代表するビールを作っていきたいとも思います。他の人はもちろん、何より自分自身が納得できるものを作り続けていきたいと思っています。片手間でなく、本気でやりたい気持ちも強いですし、会社を大きくしたいということではなく、「俺が作り続けていきたいんです」

ーー彼がビールを作りたいと相談に来た約5年程前のことを今も覚えています。
いつも周りに友達がいて、彼を応援したいとそう思わせてくれる彼の人間力こそが今の彼を支えているのだと思っています。

自宅も近所で小学校から同じサッカースポ少で一緒にボールを蹴ってきた槙山さん、今は「山形が好き」という共通の思いでそれぞれが違うフィールドで挑戦できていることを改めて嬉しく感じました。
槙山さんの作ったクラフトビールは本当にうまいです!
山形愛の詰まったビールを是非手にしていただければありがたいです。